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執筆者の写真第九in市川

「札幌の時計台を訪れて」

更新日:2020年11月10日

指揮者 津田 雄二郎

歌曲 『この道』 第2番 《あの丘は いつか見た丘 嗚呼そうだよ ほうら白い 時計台だよ》 北原白秋 作詞 山田耕筰 作曲

『この道』は、白秋が札幌を訪れ、時計台を見て感動し作詞しました。詩中の「丘」についてですが、実際には時計台の周辺には「丘」はありません。 先日私は、その「丘」にまつわる謎を解明しようと時計台を再訪しました。その際のことをここでお伝えします。

かつて時計台は旧北海道農学校敷地内にあり、後年移築されました。時計台内の展示の中に、移築に関する貴重な資料がありました。その写真には、かつての時計台が今と殆ど変わらぬ位置にあったことがハッキリと示されています。時計台は移築の前も後も平地に建っていたのです。



白秋は、白い洋風の時計台を見て感動し、そこには「丘」はないのに、その大きな存在感を「丘」という言葉を使って表現しました。 時計台内の展示には、『この道』の紹介はありませんでしたが、代わりに旧農学校のキャンパスの模型、ジオラマが展示されていました。 当時の時計台周辺には、大きな建物はなく、潅木や宿舎などが点在し、静かでのどかな風景が広がっていました。 現在は大きなビルの谷間に時計台は小さく埋れていますが、当時は、白秋の表現の通り、大地に、まるで丘の上にそびえているかのように堂々と建っていたのです。

『この道』は、白秋にとっては自身の名前の“白”という一文字を用いて作詞した、とても想い入れのある作品です。その白い時計台は、まばゆいものとして白秋の心に焼き付いていたのでしょう。


作詞家は、現実を歪曲して表現するのではなく、感動した心を素直に表します。真実が伝わってこそ読み手が感動することを知っているからです。無駄なくシンプルに表現した時に感動は相手に伝わります。 合唱も同様です。たゆまぬ練習の積み重ねによって、無駄なものを取り除き、力まず歌えるようになれば、伝えたい気持ちが伝わるのです。 合唱団が天使たちのように歌い調和すれば、舞台は晴れやかなものとなるでしょう。そして舞台は、聴衆の目に存在感のある「丘」のように映るかもしれません。

ここで一つ替え歌を。 《あの歌は いつか聞いた歌 嗚呼そうだよ ほうらステキな ハレルヤコーラスだよ》


[ご参考] 時計台について

札幌時計台は、1878年(明治11年)、札幌農学校の武芸練習場として建設された。1903年、札幌農学校が現在の北海道大学所在地に移転したため、1906年、札幌区により買取され、現在の位置に移設された。移設される前は、現在の位置よりおよそ130m北東に位置していた。

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