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執筆者の写真第九in市川

『スコットランドの思い出』 

智子さん (アルト)


私の属するグリンコールは町内文化活動の楽しい合唱団です。

昨年「第九を歌いませんか」との誘いに思わず手を上げました。今まで歌いたい、と思いつつ勇気もチャンスもありませんでした。

6月4日にグリンコールは練習を再開しました。新沼謙治の「ふるさとは今もかわらず」を歌い、メンバーの描いた岩木山の表紙絵を味わいながらの楽しいひと時となりました。今回、旅の話を!との勧めをいただき書いてみました。

2年前にスコットランドに行きました。40歳を前に亡くなった幼なじみの思い出を辿る旅でした。彼女は夫の赴任先ロンドンで数年を過ごし、帰国するとスコットランドの歴史と女王メアリー・スチュアートの生涯を熱く語ってくれました。

メアリーは、イングランドの王位継承権を持つ故に過酷な人生を歩みます。4歳でフランス王家に嫁ぎ、夫フランソワ二世が早逝するとイングランドの生家に戻ります。そのスターリング城の外観は三方を崖に守られ、大砲を構えた要塞のように堅牢なお城でした。

エリザベス一世にとりメアリーの存在は難題です。陰謀、誤解、様々な出来事の末メアリーを幽閉し、拠点を与えず各地を移動させます。その一つドゥーン城は大きな厨房の真上がメアリーの部屋でした。救いは、厨房の熱が巡回し冷たい石の壁を温めていたことでした。

18年後、メアリーは断頭台の人となります。処刑人は心掻き乱され、力が入らず何度も斧を振るったそうです。しかし、エリザベス一世(未婚)の後継者は、メアリーの息子ジェームズ2世でした。大英帝国へと繋がるアイルランド、スコットランド、イングランドの同君連合の初代君主です。

 スコットランドは18世紀に反乱軍ジャコバイト(ジェームズのラテン語名)蜂起を最後に完全に制圧されました。決戦は30分で終わり、ほぼ全滅したジャコバイト軍はそのまま放置されました。供養塔は形ばかりで丘全体が墓地ということでした。今、カローデンの古戦場は穏やかな草の丘です。

 植林なしには高木は生えない、という禿山のようなハイランド地方を後に、旅の後半は瑞々しい緑の湖水地方、詩人ワーズワースの地を訪ねました。幼なじみが気取って朗読したワーズワースの詩「黄水仙(キズイセン)」のくぐもった英国式発音(?)が聞こえてくるようでした。

 第九合唱は私には大挑戦です。でも、命には心の糧になることも必要です。コロナの行方が心配です。終息を祈るばかりです。


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