あなたは「ハレルヤ」を起立して聴かれますか?
指揮者 津田雄二郎
ヘンデル作曲の『メサイア』は、①降誕 ②復活 ③信仰告白 と大きく3つの部分にまとめられています。
『メサイア』は、僅か24日間という驚くべき速さで作曲されました。その流れと勢いがこの作品の魅力ともなっています。
ヘンデルはドイツ生まれですが、若くして当時の音楽の先進地であるイタリアやロンドンに渡り、聖職者や王侯貴族と交流しながら活動し一流の文化人に成長しました。そして最も円熟した56歳の時に『メサイア』を作曲しました。この作品はオペラでも教会音楽でもない、当時としては新たな形の宗教的劇音楽で、現在ではそれをオラトリオと言っています。聴衆は、このオラトリオの出現により劇場や孤児院など教会以外の場所で気軽に宗教的作品に親しむことができるようになりました。そして神の存在は彼らにとって一層身近なものになったのです。
イエスは十字架上で命を落とし、3日後に復活を果たし、弟子達に布教を託して昇天します。『メサイア』の中の「ハレルヤ」コーラスは、人間の罪を贖(あがな)って昇天したイエスに、私達から感謝と賛美を捧げる場面で歌われます。今を生きる私達が、来年3月に「ハレルヤ」を歌うことは、コロナ禍で亡くなられた多くの方々への祈祷歌と、コロナ禍を克服した文明への讃歌、と読み替えることができるでしょう。
ここで「ハレルヤ」にまつわるエピソードを一つご紹介しておきます。この「ハレルヤ」コーラスを聴いた当時の国王ジョージⅡ世は、感動のあまり起立し曲への敬意を表しました。すると臨席者も合わせて起立したと云われています。これ以降、国王不在でも「ハレルヤ」が演奏される度に聴衆は起立して聴くようになりました。しかし、このエピソードには最近別の考察が浮上しました。国王は感動して席を立ったのではなく、歌詞の一部に政治的且つ宗教的思惑を感じ取り、不穏を察知して席を立ったか、あるいは、単に、国王が遅れて入場したのを他の者達が起立してそれを迎えた、とも考えられています。
あなたも「ハレルヤ」を歌いながらその謎を解き明かしてみませんか。
以下、「ハレルヤ」の歌詞の一部を抜き出してみました。
当時のジョージⅡ世を取り巻く政治的緊張があったことを前提に次の歌詞を読んでみましょう。
King of Kings, and Lord of Lords, and He shall reign for ever and ever, Hallelujah!
王の中の王、主の中の主、そして彼は世々限りなく世を治めゆくであろう。神を讃えん!
この“King”が何を意味するかがポイントです。
18世紀初頭までのイングランド・アイルランドは、親カトリック派のスチュワート朝、ジェームズ王の治世に依っていました。王の失脚後、親プロテスタント派のハノーヴァー朝、ジョージ王が北ドイツのハノーヴァーからやってきました。王は議会には殆ど関与せず、しばしばドイツに帰国したため、庶民からの支持はそう厚くはなかったと云われます。こうした情勢の中、ロンドンには不満勢力のジャコバイト(ジェームズのラテン語名)党がはびこり、王政復古を画策して今にも蜂起しかねない世情にありました。そうした中で、「ハレルヤ」を聴くジョージⅡ世の胸中は如何なものだったでしょう。だからこそジョージⅡ世は「王の中の王」を聴いて歓喜したとも考えられます。あなたはどう思われますか?
ちなみに『メサイア』のロンドン初演2年後の1745年、ジャコバイト蜂起が起こりますが、結局それは失敗に終わりました。
『ヘンデルが駆け抜けた時代』* の著者、三ヶ尻先生は、ヘンデルは中道派として王侯貴族や聖職者に仕え、政治的且つ外交的な手腕をもって音楽を供給し、オラトリオにより神に焦がれる一般市民の心をわしづかみにした実力派の音楽ビジネスマンだった、と考察しています。そうでなければ、ドイツからの帰化人が、億という単位の財産を遺し、ロンドンの大伽藍、ウエストミンスターに手厚く葬られるような史実はなかったのではないでしょうか。
さて、あなたは「ハレルヤ」を起立して聴かれますか?
* 【書籍紹介】 ヘンデルが駆け抜けた時代:政治・外交・音楽ビジネス / 三ヶ尻 正 著 (春秋社 2018刊)
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